今日は、いわゆる「血液型何型?」と質問されるいわゆる血液型の性格分類についてのお話しです。
私もいまだに血液型を聞かれることがあります。几帳面な性格と受け止められているらしく「A型でしょ?」と言われたりします。
そんなとき、心の底では「またかいな」と思いつつ、学術的な議論で相手の面目をつぶすのも憚られますので、一言「欧米の人には言わない方がいい。バカにされてしまうから。」とコメントします。
私は同志社大学時代、心理学の鈴木直人先生の講義を一般教養で受講しており、その際に血液型の性格判断を巡る無意味さ、実証の甘さについて教わり、先生は「是非これを広めてほしい」と言った趣旨のことをおっしゃっていました。
しかし、日本には、驚くほど根強くこの血液型信仰が残っており、個人的に一種宗教に似た不気味さを覚えることもあります。
そこで、本稿では、ネット上の各種参考文献を紹介しながら、この『ブラッドタイプ・ハラスメント』について考えてみたいと思います。
一応ここでコメントしておきますが、これは行政書士が業務の合間に綴っているブログでして、本稿は科学的に本格的な考察を行うとするものではなく、自身の知識の再整理を行おうとするものです。
血液型とは
血液型(けつえきがた)とは、血液内にある血球の持つ抗原の違いをもとに決めた血液の分類のことである。
ウィキペディア「血液型」より
ウィキペディアの記述によると、抗原は数百種類が知られているそうです。従って、「血液型」とはその数百種類の抗原に基づき便宜分類した概念であって、世界中を探しても自分と同じ血液を持つ人間は一卵性双生児でもない限り存在しないのではないかと言われているそうです。
つまり、「血液」そのもので性格を分類することは無意味ということです。
知られている分類手法
血液型と言えば普通の人は「A型」「O型」「B型」「AB型」の4種を想起されるのではないでしょうか。
しかし、これは、血液の分類の一方法であって、他にも様々な分類の方法があります。たまにドラマに登場するのは「Rh-」ですが、これも血液型の分類の一方法です。つまり、血液型が人間の性格形成に影響を及ぼしているのであれば、「ABO型血液分類」だけでなく、他の血液型分類の観点からも研究しなければ血液型が性格に及ぼす影響を正確に考察することができないはずです。
血液型は性格に影響を及ぼすのか
科学的に考えると、立証がない以上、「血液型が性格に影響を及ぼすことはない」とは言い切れません。しかし、自然科学、人文科学をともに牽引してきた欧米において、このような命題自体が無視されているという事実は、パーソナリティと血液型の相関性を議論すること自体がそもそも無意味、無価値であるということを示しているとも言えるでしょう。
また、血液型分類の論理は帰納法によって成り立っています。「統計を取ってみるとこのような傾向が見られた」と主張しているのであって、「A型=几帳面」という方程式は成り立つはずもないのです。
さらに、血液型で性格を分類するということは、基礎になるのは血液型です。たとえば「A型に几帳面である人が多かった」という統計結果が出たとしても、それは「几帳面である人がA型である」ということを裏付けていることにはなりません。にも関わらず、日常生活においては気質から血液型を言い当てようとする人が極めて多くいらっしゃいます。
「子どもは焼肉好きが多い」からと言って「キミ、焼肉好きなんやったら実は子どもっぽいんだね」とはなりませんよね。
つまり、血液型と性格の相関性を論じる手法は、それが帰納法で導き出されているが故に論理の限界があるにもかかわらず、日常においては根拠のない風説がさも真実のように考えられ、しかも逆のベクトルで使われているといる、というおかしな現状を作りだしているのです。
血液型の迷信が生み出す弊害
常識的に考えても、ABOの血液型分類でパーソナリティのベースが決まるというのは違和感があります。前述のように、ABOの血液型分類は、あくまで分類の一種でしかないため、血液がパーソナリティを定義する重要な要因であるというならば、他の分類における相関性につても検討されなければなりません。
しかし、そのような検討はなされていません。なぜか。無意味だからです。つまり、血液型とパーソナリティの相関性については、科学者が時間をかけて検証に値するような命題ですらないからだ、と言えるのです。
にもかかわらず、血液型を題材にしたテレビや著作が後を絶たないのは、それをビジネスに化けさせて金儲けを企む人たちの手法の上手さと、日本人のレベルに依るところが大きいと言えるでしょう。
血液型と性格に関する正しいとは言えない情報の流布は、職場や学校での差別の温床となり得ます。「血液型が昇進に影響する。」などということがまことしやかに囁かれている会社もあると言われています。
このような実態を受けて、鈴木教授は「血液型に対する正確な知識を」と強く訴えていらっしゃいました。信仰は自由なので血液型を信じるのももちろん自由です。しかし、血液型を「フィルター」として他者見ることに、どんな意義や意味があるのか、我々はよく考えなければならないのではないでしょうか。
ちなみに、高木式血液分類によれば、私の血液型は「ガタ型」です。